【はてなブログPro】アドセンスなしで月600円稼ぐのは難しい
月600円とは、はてなブログProを維持していくための費用です。
料金が二年プランで14400円なので、24で割って毎月600円ということですね。
そしてこの月600円のコストが、今の私に重くのしかかっているということです。
おかしい。一応これでもブログの運営期間は6年なので、そろそろ古参ブロガーを名乗ってもよいくらいだと思うんですが……。
グーグルアドセンスはやはり必要か
現在600円の収益にすら苦しんでいる理由は簡単なことです。
グーグルアドセンスをブログから外してしまったからです。
もはや有名すぎて説明するまでもありませんが、グーグルアドセンスは訪れた人がクリックするだけで収益が入る広告サービス。
記事をずっと更新せずにPVが落ち込んでいた頃でさえ、アドセンスがちまちまと稼いでいてくれたのですね。
でもある日ネット広告が嫌になったこともあり、このブログからアドセンス広告をすべて撤去してしまったのです。
もちろんアドセンス以外の広告も貼ってはいますが、クリック型の広告ではないので滅多に発生しません。かつてに比べて今はPVも落ちていますし。
このままでは維持費がペイできないので、いっそProを解約するのも手です。
しかしProを解約して無料版に戻すと、今度ははてながオーナーの広告が表示されてしまうというw
それならもはや自分でアドセンス広告を貼って、その収益でProを維持した方がまだマシかなと思っています。
仕方ないので、またグーグルアドセンスを貼りなおそうかと考えています。
そう、これはやむを得ない選択。やむを得ない選択なのです。
※以下追記
グーグルアドセンス広告を貼りなおしました
予定通り、グーグルアドセンスによる広告をまた張りなおしました。
もう外すことはないかもしれません……。
※さらに追記
proをやめる予定なのでアドセンス広告を外しました
2021年中にproをやめる予定なのでアドセンス広告も外しました。
といっても無料版に戻った後は、はてなブログが運営する広告が表示されることになるとは思いますが。
『3ない麻雀』とは何か? 今こそ私が真の『3ない麻雀』を教えます
一時期、『3ない麻雀』という言葉をネット上で見かけました。
『3ない麻雀』とは、
お金を賭けない
煙草を吸わない
お酒を飲まない
の三つをルールとした麻雀のことだそうです。
健康マージャンとも呼ばれています。
しかしそのことを知った私は愕然としました。
私が考えていた『3ない麻雀』とあまりにも実態が違いすぎたからです。
そこで今回は私が考える真の『3ない麻雀』について語ろうと思います。
これが本当の『3ない麻雀』だ!
スジひっかけをしない
まずひとつめは『スジひっかけをしない』。
スジひっかけはマナー違反! マナー違反なのです!
スジひっかけとは、例を挙げると6を切っておいて3や9であがるという待ちのことです。
麻雀は両面待ちの場合6を切っていたら3や9でロンすることができないため、6が捨ててあったら3や9が通りやすい、という考えの人を狙い撃つ待ちなわけです。
戦略としては理解できますが、やはり人間はもっとまっすぐにぶつかっていくべきだと思うんですよね。
スジひっかけであがった者はロンすることで点棒は得られたかもしれませんが、それと同時に何か大事なものを失っているのです。
あの白糸台のフィッシャーさんですらあっさり引っかかってしまったスジひっかけ……。
卑怯でしょ。
卑怯ですよね。
実際スジひっかけでロンをくらうとイラっとします。
……もちろん私もたまにはやりますけども。
門前で大三元をロンしない
ふたつめは『門前で大三元をロンしない』。
門前で大三元をロンするのはマナー違反! マナー違反なのです!
(門前とはチー、ポン、明槓をしてない状態のこと)
大三元は麻雀の中でも最高の点数を奪う役満であり、直撃を食らうと心臓が止まりそうなくらいショックを受けることになります。
いちごちゃんもロンを食らった時、やっすいチャンタだと思っていたら実は役満の清老頭でしたー、という予想外の事態に直面してしまいました。
これはまさしくいちごちゃんを裏切る行為。そんなん考慮できるわけがない。
彼女はあまりのことに泣き出してしまいました。
役満を不意に直撃するのはそれくらい罪深いこと。
これと同じで大三元はテンパイであることをそれとなく匂わせておくべきなのです。最低でも一鳴きはしておくのがマナー。
しかし鳴きを入れずひそかにテンパっておき、いきなり大三元を直撃する……。
卑怯でしょ。
卑怯ですよね。
大三元をもし門前でテンパイしちゃった時は、大明槓で三元牌をさらしてでも自分の手が危険であることをアピールすべき。
そう。蜂や蜘蛛などの危険な生物が警告色で身を包んでいるように!
……まあ私は二鳴きの大三元に振り込んだことがあるんですけどね。
地獄待ちをしない
みっつめは『地獄待ちをしない』。
地獄待ちはマナー違反! マナー違反なのです!
地獄待ちとは、場に2枚出ている牌を待ちにした単騎待ちの形のことです。地獄単騎とも呼ばれますね。
不要になることが多い字牌の西や北などがよく使われます。
よほど鋭い勘の持ち主でない限り、そういった牌のラス牌を後半にツモると普通に切ることが多くなります。
地獄待ちは待ち牌が王牌に埋もれたりしていない限り、かなりの確率でロンすることが可能な戦略ですから、ついついそうした待ちをしたくなる気持ちも理解できなくはありません。
ですが他の対戦相手から見たら、読みもへったくれもなくなってしまいます。
引いてきた時、ホッと安心して河に捨ててしまうような牌でこっそりと待つ……。
卑怯でしょ。
卑怯ですよね。
咲に出てくる悪待ちで有名な久部長とかマジで最悪です。ぜったいに戦いたくないです。
この『3ない』が新たなスタンダードになる日を夢見て
いかがでしたか?
お金を賭けない
煙草を吸わない
お酒を飲まない
の『3ない』よりも、大事なことがあるのです。
それが、
スジひっかけをしない
門前で大三元をロンしない
地獄待ちをしない
の『3ない』なのです!
これこそが真の『3ない麻雀』だと納得していただけたでしょうか。
雀荘でもネット麻雀でも、この考えが主流になることを心から願っています。
「何を考えてるのか分からない人」というけど、皆さんエスパーなの?
私は他人が何を考えているのかさっぱり分かりません。
でも世間の人は他人が何を考えているのかが分かるようです。
だって「何を考えてるのか分からない人」と言う言葉をよく耳にするんですもの。
それともこの世の人は、私が知らないだけで実はみんなエスパーだったのでしょうか。
心の中が読めるのでしょうか。
人類皆サトリサトラレなのでしょうか。
私もいわゆる「何を考えているのか分からない人」ですが、それなら私が職場とかで人間関係をうまく構築できなかったり、避けられていたのも納得がいきます。
だって自分の超能力が通用しないってことですから、そんな人は怖いですよね。
スーパーマンじゃないのは私だけ
私が昔ロードショーか何かで観たスーパーマンは透視能力を持っていたけれど、鉛の箱の中身が透視できなくて中を確かめるために開けてしまい、弱点となる石のようなものに触れてしまってピンチになっていました。
子供の頃に一度だけ見たシーンなので、いろいろと記憶もおぼろげでつたない説明になってしまっていますが、たぶんバルタン星人がスペシウムに触れたみたいなもんだと思います。
現実世界の話に戻しますが、他の人から見たら私は鉛の箱みたいな存在なのでしょう。
中身が見えないので不安になる。
スーパーマンは箱の中身を検める必要がありましたが、その必要はないので避けるようになる。
でも元から他人が何を考えているのか分からない私にとっては、こちらから見たすべての人間が鉛の箱でした。
だから私が無職で引きこもっているのは当然のことなのです。
怖いので避けざるを得ないのです。
そのような理由で今日も私は鉛の箱を開けるのではなく、ポテチやチョコやクッキーの箱を開けるのです。
テーブルコショーの使い道に困って麻婆豆腐とカレーばかり食べている
一人暮らしを始めた時、「前の家にもあったし」という理由でS&Bテーブルコショーを買ったのですが、これが間違いでした。
一人で使うには多すぎてまったく量が減らないのです。
冷静に考えてみると、かつて家族と住んでいた時も胡椒を使う機会はめったにありませんでした。
賞味期限は長いので別に急いで使う必要はないのですが、どう見積もってもその賞味期限まですら余裕で使いきれそうにないという。
すべてはS&Bテーブルコショーを使い切るため
それである時期からテーブルコショーを使い切るための献立を、意識してローテーションに突っ込むようになりました。
現在、麻婆豆腐とカレーライスがその役目を負っています。
これらの料理の時に「おりゃーーーーーっ!!」って感じでコショーをかけまくります。周りで見ている人がいたらおそらくドン引きされるくらいにはかけていますw
カレーは35種のスパイスとハーブが売りのS&Bゴールデンカレーをいつも食べているのですが、調和のとれた35種のスパイス&ハーブが怒り狂うレベルで胡椒を投入しています。
どうせ食べるのは私だけですし。
もちろん胡椒だらけでおかしな味になってしまわないくらいの加減はしますが。
麻婆豆腐は他にも使わないといけない材料が多い
最近は特に麻婆豆腐を作る割合が高いです。
麻婆豆腐の場合、他に片栗粉とか唐辛子とかも買ってくることになるので、そちらもあまり長く放置したくないですからねw
かつて記事に書いた通り、から揚げを自作しなくなったものですから、片栗粉は麻婆豆腐で処理するしかありませんし。
豚テキも仲間だけどやっぱり本命は麻婆豆腐とカレーライス
あと他にやっている胡椒の使い道と言えば、豚テキを作った時に塩と一緒にかけるくらいですが、こちらはかけられる面積も多くはないのでそこまでコショーが減りません。
となるとやっぱりカレーか麻婆豆腐くらいしか選択肢がありません。
料理ルーレットがあるなら、最近は20の穴のうちの4箇所が麻婆豆腐で2箇所がカレーってところです。
近ごろは年のせいもあって一回に食べる量も減っているので、どちらも一度作ると最低4~5日は食べることになります。
さすがにちょっと飽きてきましたがやむを得ません。すべてはテーブルコショーを綺麗に使い切るためなのです。
それを何度も繰り返して、ようやく1/3くらいを使うことができました。
……まだまだ先は長そうです。
そろそろ麻婆豆腐とカレーを作る割合を減らし始めても問題ないかな? とか考えていたんですが、どうやら甘かったようですね。
もうしばらくこの二つの料理につきあい続けるとしましょうか。
一人暮らしの人には多すぎる可能性があるので気をつけましょう
テーブルコショーですが、なくなったらさすがにもう買わないと思います。
もともとカレーに胡椒を入れてはいませんでしたし、麻婆豆腐は胡椒を入れずに我慢するようにしますし、豚テキを食べる時も塩だけかけて満足するようにしますw
一人暮らしの人がテーブルコショーを買う時は、自分が普段どれくらい胡椒を使っているかをよく考えてから買いましょう。
Amazon Music が勝手に起動して困るので設定を変更した
先日、Amazon Music を初めて導入してみました。
Amazon Music にはいろいろなプランがありますが、私が加入したのはPrime Musicです。Amazon Prime に入っていれば無料で利用できるやつです。
私はプライム会員なのでそのままPCにアプリをインストールして利用を開始しました。
なぜ勝手に起動する!?
Amazon Music のプレイヤーをある程度触ったあと、もうしばらく使うことはないかな、と閉じたのですが、こいつがなんとパソコンを起動するたびに一緒に起動してしまうという困った仕様でした。
さすがに毎回アプリを閉じるのも煩わしいので設定を変えるやり方を調べてみたところ、簡単な方法がありました。
これで簡単に変更できます
Amazon Musicのアプリを起動し、サインインしてプレイヤー画面で自分のアカウントのボタンを押し、その際に出てくる設定のところを押します。
設定の中にある詳細タブから、
『コンピュータの起動時にアプリを自動的に起動』
のチェックを外します。
これでPC起動時に一緒に立ち上がってしまうことはなくなります。
Prime Music を使ってみた感想もついでに書きます
なお、Prime Music を実際に使ってみた感想について述べると、私が聞きたかった曲はほとんどなかったし、やはりしょせんは無料版でしかないなと思いました。
もっともAmazon Prime に加入していれば無料で使えるというだけで、実際は有料みたいなものなんですけどね。
でもAmazonにしてみれば無料版みたいなものでしょうし、残念ながらこれひとつで解決するというような美味しい話はないということでしょう。
といっても私が聴きたかった曲はことごとくマイナーなものばかりなので、それを無料版に求めるというのもさすがに無理があったかなと思ってはいます。
特に目的なく何か楽曲を聞きたいとかなら十分に役に立つと思います。もちろんすでにAmazon Primeに入っていて無料で使えるという条件つきで。
有料のAmazon Music Unlimitedもあるけどさすがに高い
物足りない場合は有料のAmazon Music Unlimited が上位版にあたり、曲数も200万曲から6500万曲以上と大幅にアップします。
ここまで増えればさすがに自分が聞きたい曲も多く存在するとは思いますが、この上位版に入る気は今のところありません。
さすがにこれ以上サブスク系で出費を増やすのもつらいですから。
プライム会員ですら月額780円ということは、Amazonプライムの年会費を合わせると一万円を楽にオーバーしてしまいます。
それならさすがに欲しい曲を個別で購入したほうが良いのではないかと思ってしまいますね。
サブスク系と言えば近ごろNintendo Switch Online にも加入してしまいましたしw
時々は利用していきたいです
というわけで今回はAmazon MusicとPrime Musicについてのお話でした。
残念ながらPrime Musicは私が期待していたほどのものではありませんでしたが、特にこだわりはないけど何か音楽が聴きたいという気分になったら、その時はたまに利用してみようかなと思います。
ステルス値上げはダイエットできてラッキーだと思うことにした
ステルス値上げとは『食品や日用品などを、価格はそのままで、内容量を減らして販売すること』の俗語です。
シュリンクフレーションとも言うそうです。
最近はずっとこの傾向が続いていますね。
私が買うお菓子などもよくステルス値上げの対象になっています。
本質はなにも変わらないはずなのに
値段はそのままでも内容量が減っているということは、実質的には値上げと同じです。
100グラム200円のものを基準に考えてみましょう。
内容量を減らして80グラム200円になった場合と、値段だけを上げて100グラム250円になった場合を比較すると、どちらも1グラムあたりの価格は変わらないことになります。
ではなぜステルス値上げがよく行われるのかというと、世間が通常の値上げを許さないからでしょう。
やはり、ぱっと見で値段が上がっているというインパクトはすさまじいのです。
私はステルス値上げより普通の値上げを望む
私としては内容量を減らすくらいなら価格をあげてもらったほうがまだマシだと思っています。
量は多い方がやっぱり嬉しい
どうせ買うのなら満足いく量を食べたいですからね。
せっかく買ってきたのに、たったこれだけかとがっかりするのは避けたいものです。
決まった量をとる習慣が崩れてしまう
次に、今までのルーティンが崩れてしまうことも気になります。
例えば毎日200ml牛乳を飲みたい場合、1Lの牛乳パックは便利です。ぴったり5回飲めますから。
でもそれがいきなり900mlとかになったら、今まで通り200mlずつだと100ml余ってしまうし、キリよく5回に分けると180mlずつしか飲めなくなってしまいます。
それだとやっぱりちょっと困ってしまいますよね。
企業側の努力があまりに報われなさすぎる
そしてこれが普通に価格をあげて欲しいもっとも大きな理由なのですが、ステルス値上げをする企業側の努力があまりに悲しいことに思えるからです。
内容量を減らしたり、
商品の形やサイズそのものを変更したり、
もしくは原材料を変えたり、
本来なら企業だってそんなことは望まないと思うのです。
堂々と値段をあげられるのならその方が良いに決まってる。
値段を上げるだけなら、わざわざ新しいパックを開発したり食品を小さくする必要もありませんし、楽なはずです。
特に食べ物の形やサイズや原材料ってすごく大事なことだと思うのですよ。
最初にその製品が生まれたとき、その形やサイズや原材料にした理由がちゃんとあったはずなのです。
でもそのままでは赤字になってしまうので、その聖域とも思える場所にメスを入れなきゃいけない。
世の中が通常の値上げを許さないばかりに、回りくどいやり方をしてステルス値上げを行わなければならない。
企業にそんな努力を強制する世間の雰囲気があまりにむごすぎて、そのことが悲しくて仕方ないのです。
でもやっぱり普通に値上げされるとちょっと気になるよね
もっとも、実際に通常の値上げをされたらやっぱり私も買う回数は減るかもしれません。
特にお菓子なんかは生活必需品ではないですからね。私にとっては生活必需品のようなものですが。
上ではしみじみと偉そうなことを述べてますが、結局はこれが現実なのです。
だから企業もステルス値上げせざるを得ないのでしょう。なんてことだ。
ダイエットできると考えよう
それでだんだんと値段据え置きのかわりに量が減っていくお菓子に悲しい気持ちになっていたのですが、最近はステルス値上げも悪くないなと思い始めました。
年のせいもあって以前ほど食べられなくなってきたからです。
それなら量が減って値段そのままのステルス値上げのほうが、ダイエット効果もあってラッキーかなと。
特にポテチのような一度袋を開けたらその日のうちに食べつくしてしまうタイプのものは。
しかしこのままステルス値上げが続くと果たしてお菓子の内容量はどうなってしまうのか……いきつくところにまで行ったら、それこそ袋の中にお菓子が一枚ということになってしまいます。
そんな恐ろしい世の中がやってこないことを祈りつつ。
私は今日もお菓子メーカーを応援するため、チョコやポテチやクッキーやコーラをむさぼりたいと思います。
ブログの連続更新が途切れるのは緊張の糸が切れるのと同じ
ここ最近、私にしては珍しくブログの連続更新が続いています。
昨日の記事で18日連続なので、今回の記事で19日めということになります。
頑張って100日連続更新を達成したことがある。けれど……
以前私も記事を毎日更新することを頑張っていた頃がありました。
こちらはかつて連続更新がもうすぐで100日になりそうだ、という時期に書いた記事です。
その後、無事に100記事を連続更新するところまでは行ったのですが、それから間もなく毎日の更新をやめてしまいました。
やめた理由は、連続更新することが主目的になりつつあったからです。
更新するという目的のためだけに、気がのらない記事を書いて気が乗らないアップロードをするのがとてもつまらないことだなと思ったので、すっぱりとやめてみました。
連続更新をやめたあと、再び同じように頑張るのは難しかった
やめた時はすっきりとしましたが、多少の喪失感もありました。緊張の糸が切れた感じですかね。
数日後、普通に記事を書くことを再開はしましたが、それ以降は特に連続更新にこだわることはなくなりました。
なにしろ記録がリセットされてしまったわけですからまた最初からですし、もう一度それを越えようという気持ちも起きなかったのです。
今思うと、記事を書き続けていた時はやはり少し無理をしていたのかもしれません。
ちなみに100日更新を続けて何か得るものがあったかというと、特にはなかったような気がします。
文章を書き続けて経験値みたいなものは蓄積されたかもしれませんが、それくらいです。
ひょっとすると私が気付いていないだけで、他にもなにかすごいものを得ている可能性もありますが。
何事も継続することは大事
毎日記事をあげることをしなくなってしまった私ですが、物事を継続することは大事だと思っています。
例えばこちらの記事のように、私はダイエットをしていた時期がありました。
ダイエットの一環としてウォーキングも行っていましたが、毎日行っていたわけではありません。寒い日や雨の日や疲れがひどい時などはちゃんと休んでいました。
でもトータルで考えると継続して行ったことになり、結果的に3年で20キロくらい痩せることができました。
継続しなかったらもちろん未だに80キロオーバーの体重だったはずです。
これだけでも継続の大切さが分かります。
今でも体重については常に意識しており、ウォーキングやフィットボクシングを定期的に行っています。もはやダイエットというよりは習慣に近いですね。
暴飲暴食が趣味なので、気を抜くとまた戻ってしまいますから。
記録が長く続くほど、失った時のショックが大きくなる
連続で何かを行う期間が長ければ長いほど、やめた時の反動が大きくなります。
ダイエットも急激にやせた後に、結局リバウンドしてしまうという失敗例をよく耳にしますよね。
切れた緊張の糸もいつかは元通りにつなぐことができますが、張り詰めた期間が長いと、くっつくまでの時間も長くかかってしまうのだと思います。
ブログとはつかず離れずの距離感が大事なのかもしれない
それを考えるとブログの投稿も毎日更新という形ではなく、会社の5勤2休みたいな感じで週のうちに決まった回数をあげるというやり方のほうが良いのかな、と最近考えるようになりました。
ここ最近は書きたいことがあるので続いていますが、結果的に連続更新という形になってしまい、それに火がついて書きたいことが特になくても再び連続更新にこだわってしまいそうなのが、なんだか嫌なのです。
実際、近ごろはちょっと無理に記事を書こうとしているな、と感じています。
もしそれがひどくなる気配があったら、その時は勇気をもって一旦筆を置こうかなと思っています。
そういう付き合い方なら途中で止めてしまった場合の大きな反動もなく、結果的に長くブログを続けられるかもしれませんから。
広告が多すぎてイライラするのでGoogleやYahooを利用しなくなってきた
私はネットサーフィンが好きなので、Google検索を利用したり、Yahoo! Japan のニュースをチェックしたりと、グーグルとヤフーなしでは生活できないような日々をおくっていました。
ですが最近はどちらも避けるようになりつつあります。
広告が多すぎてイライラすることばかりだからです。
心に少しずつ泥がたまっていった
yahoo! Japan はトップページの広告があまりに多いのでyahoo天気くらいしか見なくなってきました。もっとも天気のページにもやはり広告はあるわけですが。
googleはgoogleで検索したらいきなり一番上に広告のサイトが表示されたりもするし、もうなんだかなって感じです。
検索でたどり着いたブログやらサイトやらに行ってももちろん広告バナーは表示されているし、そこまでならまだ良いのですが、サイトによってはいきなり画面いっぱいにでかでかと広告が出てきてクリックを促してきます。
それを見た瞬間にもちろんバックして二度とサイトに訪れないことを誓います。
でも他のことで検索していると気付かずまた同じサイトに入ってやっぱり全画面広告で不愉快な目にあってソッコーでバックします。
こういうことが重なってどんどんとストレスが蓄積されていったのです。
ファミコンソフト『ジーキル博士の彷魔が刻』のジーキル博士のように。
まさかネットサーフィンをしたくなくなるとは
広告の多さにイライラするばかりなので、もう最近ではパソコンをまったく見ずに家庭用ゲーム機で遊ぶことが多くなってきています。
一人でゲームに没頭していれば、広告を目にする機会はまずありませんから。
もしくはパソコンはつけるけどkindleアプリで電子書籍をずっと読んだりとか。こちらも特に広告は出てきませんし。
昔はネットサーフィンをする割合がかなり多かったんですけどね。ゲームをやったり漫画を読んだりすることよりも優先していたくらいです。
ネットがあれば退屈することはないとまで思っていました。
まさか自分にこんな未来がやってくるとは予想もしていませんでしたね。
でも広告がないと利益を上げられなくなって検索サービスそのものがなくなってしまうし、広告自体を否定するつもりはありません。
私のブログにだってもちろん広告リンクはありますし。
グーグルアドセンスは少し前に外したので以前ほど大量の広告はありませんが、「これくらいならいいだろう」と個別記事内にペタペタと貼り付けています。
でも世の中の全員が「これくらいならいいだろう」と広告を貼った行きつく先が、今の広告過多の状態なのかもしれません。
インターネットから離れるべきなのか
いつか見たニュースでは、最近の若い人はグーグル検索などを使わずにインスタグラムやツイッターなどのSNSで検索すると書かれていました。
そのニュースを見た時はグーグルを使わずにどうやって検索するんだろうと不思議に思ったものですが、今となっては若い人たちの気持ちが少しわかった気がします。
やはり若い人のほうがそういった感受性に優れているのでしょうね。
といっても、そんなSNSにも結局広告はあるわけで。
もういっそインターネットそのものから離れるのが一番イライラしない方法なのかもしれません。それなら私もハイド氏に変身してしまうこともないでしょう。
(ちなみに『ジーキル博士の彷魔が刻』をプレイしたことはありませんw)
問題はインターネットから離れてゲームや漫画だけで過ごすのがあまりに不毛すぎるということなのですが。
何か良い趣味でも見つけられたらいいんですけどね。
あ。ちゃんと職について外で働けばいいのか。
腕時計が苦手。懐中時計は好きだけど扱いが難しい
私は腕時計が苦手です。
あの手首にまとわりついてくるような感覚がどうも受け入れられません。
これまでの人生においても、仕事上で必要とされる時以外は身に着けませんでした。
そのことと関係あるかは分かりませんが、子供のころから懐中時計に対するあこがれがありました。
過去にPSソフト『ヴァルキリープロファイル』の限定版を、懐中時計がついているという理由で買ったくらいです。
いやもちろんゲームソフトそのものが一番の目的でしたけどねw
もっとも、それを含めて今まで実際に懐中時計を使ったことはありませんでしたし、ヴァルキリープロファイルも結局手放してしまいましたが。
初めて懐中時計を持ち歩いてみたものの
それで死ぬまでに一度はちゃんと携帯してみようと思い、ある日時計店で懐中時計を買いました。
別に高価なものではなく、ただの安物です。
まずは懐中時計の使用感がどんなものかを調べるお試し用として買ったものです。
でも実際に持ち歩いてみると、ただ時間を確認するためだけに、わざわざ懐中時計を取り出すというタイミングはなかなかありませんでした。
ただでさえスマートフォンという、時間もすぐに確認できるアイテムがあるものですから。
懐中時計をカバンに入れて持ち歩いていたということも、なかなか取り出す機会がなかった理由の一つです。
本当は懐中時計を使用するのに適した服装をすべきなのでしょうが、私はファッションセンスがないので難しかったのですw
時間を確認する手間に差がありすぎる
私が懐中時計で時間を確認する際、しまうことも考えて以下の行動が必要になります。
カバンのポケットのジッパーを開ける
↓
ポケットから取り出す
↓
時計のフタを開けて時間を確認する
↓
フタを閉める
↓
カバンのポケットにしまう
↓
ポケットのジッパーを閉じる
でもスマホの場合は、
ズボンのポケットから取り出す
↓
ボタンを押して時間を確認する
↓
ズボンのポケットにしまう
たったこれだけのアクション数で完結するんですよね。
そりゃあ懐中時計をわざわざ取り出す気も起きるわけがありません。
ただ、バスなどに乗ってて椅子に座っているときはズボンのポケットからスマホを取り出しづらいので、この瞬間だけは懐中時計をカバンから取り出すほうが楽です。
というか、私が懐中時計で時間を確認するのはほとんどこのシチュエーションだけですw
懐中時計は今のところオシャレアイテムですらない
このたまにしかない瞬間のためのみ存在している私の懐中時計。
現在のところ、鎖がついたただのオシャレアイテムでしかありません。
とはいえ滅多に取り出さないから人に見られることもなく、オシャレアイテムとしてすらほとんど活躍していない。
このままではお試し用の懐中時計が最後の懐中時計となってしまいそうです……。
塗装する気もないプラモデルを自分で組み立てる意味はあるの?
去年のあたりから、たまーにですけどプラモデルをいくつか組み立てていました。
ヤスリで削ったりとか色を塗ったりといったことは全くしておらず、いわゆる素組みだかパチ組みだかいうニッパーだけあればできるやり方です。
一応、ガンダムマーカーを使って墨入れという行為だけはしておりました。
でも塗装をしないということは、ただ単にランナーからニッパーでパーツを切り離してそれを説明書通りに組み立てるだけなので、果たしてこの組み立てるだけの行為に意味はあるのだろうかと思うようになってしまったのです。
もうこれなら最初から完成しているものを買ったほうが良いのでは? と。
決してつまらないわけではありません。
つまらないわけではありませんが……。
なんというか、ただの作業でしかないと感じています。
落花生や栗の殻をむいてるみたいな?
食べるためにそれらの外皮をむくように、組み立て済みのプラモを手に入れるために部品を組み立てている、そんな感じです。
プラモを見るのは好きだけど
模型屋などで組みあがっているプラモデルを見るのは結構好きです。
でも組み立てるのはそこまで楽しいと思えない。
子供の頃はもうちょっと楽しんで組み立てていた気がするし、色も適当ですが塗っていました。
年をとってしまったからなのでしょうか。
それとも塗装するようになったらもう少し楽しめるのでしょうか。
でも塗装だって結局は説明書通りにしかできないでしょうから、同じように作業としか思えない気がします。
プラモデルのコンペとかで発表されているようなオリジナリティあふれるものを作れるなら、塗装という行為に意味を見出せるかもしれません。
でもそんな独創性を発揮するのは残念ながら私には難しい。そこまでして表現したいものが今の私にはありませんから。もちろん技術力だってゼロです。
逆に言えば表現したいものがあるのなら、組み立てることも塗装することもすべてが楽しくやれるのだろうなと思います。
サッカーや野球を観戦するのは好きでも実際にプレイしたいとは思わない人がいるように、プラモを見るのは好きだけどプラモづくりが楽しめないことを気にしなくてもいいのでしょうか。
最近読んだガンプラ漫画『HGに恋するふたり』
上のような疑問を抱き始めた時に目にしたので、興味が出て読んでみた漫画です。
詳しい人にとっては言うまでもないことですが一応補足しますと、HGはハイグレードというガンプラの規格のことです。
まだ1巻しか読んでいないのでなんとも言えないのですが、ページ数がちょっと少なかったのでそれだけが気になりました。もう少し一冊に収める話数を増やしてほしかったですね。
とりあえず今の段階で言えることは、出てくる女の子が可愛いということでしょうか。
どちらかというと登場人物の心理描写とかふれあいがメインで、プラモに関する技術的なことはほとんど出てきません。
まあ私も素人なので、ピグメントとかウェザリングとかミキシングビルドとかグロス仕上げとかチッピングとか難しそうなワードを連発されても困りますが。
(検索したら出てきたワードを並べただけですので、どんなテクニックなのかは知りません)
あとメインヒロインの神崎がいわゆるSEED DESTINYあたりの世代なのでその話が多めに出てきます。
とはいえ私もSEEDやSEED DESTINYに関してはロボット大戦シリーズで少し触れたことがある程度の知識ですが、読んでいる最中にそのことは特に気になりませんでした。
それに続刊以降いろいろな世代のガンダムも出てくるでしょうから、そのあたりが分からないから楽しめないということはないと思います。
組み立てた後、何を思う
神崎は渡された作りかけのプラモを塗装もせずにそのまま組み立てただけですが、とても満足気な瞳で出来上がったストライクガンダムを見つめていました。
私も組み立て終わった時、彼女のような表情を浮かべることができていたなら、こんな悩みを抱くこともなかったのかもしれませんね。